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ここでは、太宰府天満宮文化研究所のご協力をいただき、資料提供していただいた文献を紹介しています。よって、著作物等も含まれている可能性がありますので、こちらでのみ閲覧していただき、ダウンロード等でお持ち帰りなさらないようにしてください。
「如水は才智武略にすぐれ、大志ありて権威にへつらわず。信長に仕えて忠を尽くし、信長薨去の後は、秀吉を助けて天下を平らげ、後には石田光成の邪謀に反対して家康を助け、九州を悉く平らげ、世に類なき功業を立てた。武勇人に勝るゝといえども、知略を好み、人を殺すことを好まず。毎々和議を以て敵を降参せしめ、人の命を助くること、毎度その数を知らず。智仁勇三徳を備えた人傑であった。」(後略)
福岡藩儒学者、貝原益軒が記した黒田官兵衛(如水)の人物評
黒田官兵衛(如水)の連歌の一節
天正18年8月吉日 中津城新築竣工祝賀の席にて
「紅葉して 松あらわなる 外山哉」 黒田如水伝より
西暦に直すと9月だろうか、それも下旬ということだろう。420年前には、この地南国九州でも9月に紅葉が進んでいたということになる。次に思うのは、いったいどの山なのだろう?現在の大分県と福岡県を分ける山国川の側に建てられた中津城から、川を挟んでどちらの山を見たのか地元の人であれば大きく気になるところである。天守があったかどうかは今も議論の分かれるところのようだが、この中津の町から望む山々に松を見ることはできても、紅葉を愛でるような木々があるだろうか。それとも季節の違う今の春では、記憶の中から消えてしまっているのだろうか。その時代の山々は今とは随分様子が違ったものだったということも考えられる。もしかすると、黒田官兵衛(如水)がこの祝賀会の為に、あらかじめ山の松が映える木々を植樹していたのかもしれない。
文禄4年3月(1595年)?、中津在城最後(1600年)の暮春の可能性あり。
如水、豊前国求菩提山口にのぼり、座主坊豪貴の亭にて、暮春花をもてあそび給ふ詩歌
「山ふかく分入花のかつ散て はるの名残もけふのゆふ暮」
求菩提山は耶馬日田英彦山国定公園の中に位置し、中津からであれば現在の福岡県豊前市大字鳥井畑からの登山となる。古くから修験道の霊山として修行が行われており、鴉天狗(からすてんぐ)伝説などが残る場所でもある。
中津市民であれば都会から帰ってくる途中、車窓から見えてくる八面山が見えると、誰もがほっとした気持ちになるというが、前回述べた中津城竣工祝賀の席から見ていたのは、福岡県側ということになるのだろうか?
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